Company Overview & History 会社概要・沿革
時代とともに、
脈々と息づく、
モノづくりの精神
会社概要
商号 | 水谷電機工業株式会社 MIZUTANI ELECTRIC IND. CO.,LTD |
---|---|
設立 | 1967年 7月 28日 |
代表者 | 代表取締役社長 水谷 典央 |
本社所在地 | 〒101-0021 東京都千代田区外神田2丁目5番15号 |
従業員数 | 78名 ※2024年3月31日現在 |
資本金 | 9,000万円 |
事業内容 | 半導体用放熱器(ヒートシンク)の設計・製造・販売 |
取引銀行 | 東京シティ信用金庫 秋葉原支店 みずほ銀行 上野支店 三菱UFJ銀行 秋葉原支店 興産信用金庫 秋葉原支店 日本政策金融公庫 東京支店 |
設立の経緯
創業者
電機業界のサラリーマン社会で汗を流していた水谷和夫は、安定したサラリーマン人生の中で「何かが違う」、「やるべきことがあるのではないか」ー自分の立ち位置に対する問いかけが日に日に膨らみ、進むべき道、やりたい事が見えなくり、「現実とのギャップ、違和感に苛立ち、自分を見失っていた」
昭和30年代、日本は技術革新によって産業の近代化を進め経済構造は強靭な重化学工業へ移行する。中でもエレクトロニクス産業は、年率2桁以上の高成長を誇りその躍進ぶりに世界は驚愕した。当時、日本ではようやく注目され始めたIC技術、アメリカ生まれの次世代技術の半導体に水谷は注目する。1961年の夏、海外から半導体に関する情報を入手し、大学の研究室を訪ね歩き教えを請うなど、本業の傍ら半導体研究にのめり込んでいく。研究に没頭してから約1年半、ある研究論文からヒラメキを得る。それは「放熱」の二文字だった。
昭和30年代、日本は技術革新によって産業の近代化を進め経済構造は強靭な重化学工業へ移行する。中でもエレクトロニクス産業は、年率2桁以上の高成長を誇りその躍進ぶりに世界は驚愕した。当時、日本ではようやく注目され始めたIC技術、アメリカ生まれの次世代技術の半導体に水谷は注目する。1961年の夏、海外から半導体に関する情報を入手し、大学の研究室を訪ね歩き教えを請うなど、本業の傍ら半導体研究にのめり込んでいく。研究に没頭してから約1年半、ある研究論文からヒラメキを得る。それは「放熱」の二文字だった。
情報を記録し数値を計算する半導体は、社会生活、産業活動に必要不可欠な電子回路部品であったが、致命的な問題を内包していた。
「熱に弱い」ー
水谷の答えは明瞭だった。「熱を逃がす、放熱すれば良いだけの話でないか。」
国内の半導体研究は大手電機・電子メーカーを中心に活発化してきたものの、放熱に関してはまだ専門メーカーもなく、そんな状況のなかで立ち位置、進むべき道がおぼろげに映し出された。
1963年記録的な豪雪が北陸地方を襲った早春、水谷は、”未知の世界”、放熱器の独自開発を決意する。確信から3年半後の1967年7月、後に「協力和心」を社是とする水谷電機工業が東京秋葉原に誕生する。水谷が世に問う一滴は電機・電子業界に衝撃を与え、半導体研究者や同業者に刺激をもたらす。
「熱に弱い」ー
水谷の答えは明瞭だった。「熱を逃がす、放熱すれば良いだけの話でないか。」
国内の半導体研究は大手電機・電子メーカーを中心に活発化してきたものの、放熱に関してはまだ専門メーカーもなく、そんな状況のなかで立ち位置、進むべき道がおぼろげに映し出された。
1963年記録的な豪雪が北陸地方を襲った早春、水谷は、”未知の世界”、放熱器の独自開発を決意する。確信から3年半後の1967年7月、後に「協力和心」を社是とする水谷電機工業が東京秋葉原に誕生する。水谷が世に問う一滴は電機・電子業界に衝撃を与え、半導体研究者や同業者に刺激をもたらす。
水谷電機工業50年史より